魂とは何か?

魂は私たちが見ることも理解することも出来ない存在ですが、 私たちはいくつかの証拠を目にするによって、その存在を信じて います。魂は私たちの主(y)の存在を示す、最大の証拠の一つです。 また魂は、知覚によって捉えることが可能な実際的証拠を常に要 求する、物質主義者らに対する論拠ともなります。というのも魂 を知覚出来ていなくても、彼らはその存在を示すいくつかの証拠 ゆえにその存在を信じているのです。魂は神秘の一つであり、ア ッラー以外の誰もその真実を窺い知ることは出来ませんし、そう するためのいかなる努力も無益なのです。アッラー(y)はこう仰っ ています: 彼らはあなた(ムハンマド )に、魂について尋ねる。言 うがよい、「魂はわが主の命によるもの。あなた方は知識を、 ごく僅かしか与えられてはいないのだ。」 (クルアーン 17:85)

ヒジュラ暦 5 世紀の学者アッ=ラーギブ・アル=アスファハー ニーは、こう言っています: 「(魂は)生命を与えられた肉体と共にあり、それと共に動 き、その周囲のことを感じ取り、知識を得、ある種の意見を 有し、善悪を識別する。もし人間が魂を失えば、これらの特 質を全て喪失することになり、ただ運搬されるだけの肉体と 化してしまう…。それは肉体に属する肉体的特徴と同様、そ こに精神的特徴が属しているからなのである。」

骨格が形作られ、そこに肉が装着されるのは、この「ムドゥ ガ」の段階です。アッラー(y)はこう仰っています: そしてわれら(アッラーのこと)は…凝血から肉塊を、肉 塊から骨を造り、そして骨の上に肉を着せた… (クルアー ン 23: 14)

またアッラー(y)はクルアーンの中の説話において、こう言及さ れています: …そしてその骨を見よ。われら(アッラーのこと)がいか にそれを持ち上げ、そしてそこに肉を付けるかを(見るの だ)… (クルアーン 2:259)


胎児はアッラーがお定めになった時期まで成長を続け、その後 この世界に生まれ出ます。アッラー(y)は仰りました: 審判の)時の知識は、かれ(アッラー)にのみ帰せられ る。そしてかれが知らずしては、いかなる果実もその蔽いか ら姿を現すことなく、またいかなる女性(や雌体)も妊娠し たり、分娩したりすることはない (クルアーン 41:47)

またアッラー(y)は、こうも仰っています: そしてわれら(アッラーのこと)は人間(アーダム)を、 泥土の抽出物から創造した。それから(アーダムとその子孫 の)精子を堅固な置き場所(卵巣)に設え、そして精子から 凝血を、また凝血から肉塊を、肉塊から骨を造り、そして骨 の上に肉を着せた。それからわれらは、また別の創造を完成 させたのである。偉大なるアッラー、最善の造形者よ。それからあなた方は死ぬのだ。そして審判の日に蘇されるのであ る。 (クルアーン 23:12-16)

また別の句において、アッラー(y)はこう仰っています: 人々よ、もし復活を疑っているというのなら(考えてみ よ)、実にわれら(アッラーのこと)はあなた方(の祖アー ダム)を土塊から創造したのだ。そして(アーダムとその子 孫の)精子から凝血を、また凝血から肉塊を造るが、(その 肉塊は)完成することもあればそうはならないこともある。 (これらは全て)われらがあなた方に(われらの威力を)明 白に示すがためのもの。またわれらは(その肉塊を)、われ らが望む一定の期限が来るまで子宮に据え、それから子供と して(胎内に)出す。それからあなた方は強壮(の時期)を 迎えるが、あなた方の内のある者はその前に他界し、またあ る者は最も厭わしい年齢期にまで到達する。そして物事を知 った後に、また無知な状態へと舞い戻るのだ。またあなたは 干からびた大地にわれらが雨が降らせると、それが振動して (そこから植物が芽を出し)伸び上がり、あらゆる種類の麗 しい植物が生育するのを見るのだ。これはアッラーこそが真 理であり、かれが死者を生き返し、そしてかれが全能である からに他ならない (クルアーン 22:5-6)

また下記の句が示すように、アッラー(y)は常に真実を語られま す: われら(アッラーのこと)は彼らにとってそれ(クルアー ン)が真理として明白になるまで、天地の彼方と彼ら自身の 内において、われらのみしるしを見せよう。あなたの主が全 てのことに対する証人であられるだけで、あなたには十分で はないのか? (クルアーン 41:53)

キース・ムーア11教授はその著「The Developing Human(発達 する人間)」の中で、こう述べています:

「これらの言葉が神からムハンマドに伝達されたということ は、明白であると思う。 これらの知識は全て、何世紀も後に なって初めて発見されたものなのだ。 私はこの事実が、ムハ ンマドが神の使徒であったに違いないことを示していると思 う。」

そして彼は、更にこう述べています: 「私自身は、彼にこのような発言をさせたものが、神的な霊 感か、あるいは啓示であると見なすことに、いかなる困難も 見出しません。」